森永ひ素ミルク中毒の被害者として

森永ひ素ミルク中毒の被害者として

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「森永ひ素ミルク中毒事件から50周年にあたって」  2005/10/06
第38回守る会京都府本部総会の議案書を紹介します  2004/08/25
4/6付ひかり京都版をご紹介します  2004/04/08
ひかり京都版最新号を紹介します  2004/02/17
障害被害者の将来設計実現の援助についての守る会の役割について  2004/01/09
いのちと健康を破壊する公害をくりかえさせないために
被害者の恒久救済を実現していくために
 1999/01/10


「森永ひ素ミルク中毒事件から50周年にあたって」
京都障害児者の生活と権利を守る連絡会の機関紙に、森永ひ素ミルク中毒事件から50周年にあたって文章を書いてほしいという要請を受け、喜んでお引き受けしました。この作成にあたっては、先日発表しました森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会発行の「森永ひ素ミルク中毒事件−事件発生以来50年の闘いと救済の軌跡−」を参考にさせていただき、財団法人ひかり協会東近畿地区センターの高城センター長のご助言をいただきました。
ご覧いただき、森永ひ素ミルク中毒事件以来50年間の歩みの一端をご理解いたたければ幸いですし、忌憚のないご意見ご批判をいただきますようお願いいたします。

森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会
京都府本部事務局長 加味根史朗

「森永ひ素ミルク中毒事件から50周年にあたって」

今年の8月で、森永ひ素ミルク中毒事件から50周年となりました。事件から半世紀という記念すべき時期に当たって、あらためて森永ひ素ミルク中毒事件とはどんな事件だったのか、どんな解決をみて、被害者の救済は今どうなっているのか、簡単に歴史とたたかいを紹介したいと思います。

人類史上例を見ない悲惨な事件

事件は、1955年6月頃から8月にかけて、近畿地方以西の西日本一帯を中心に、乳児の奇病が発生しました。同年8月24日に「人工栄養児に奇病!原子病に似た症状」「ドライミルクの恐怖、各地に死者続出」と新聞がいっせいに報道しました。被害児数は12131人、死者は130人(1956年6月現在)にものぼりました。被害者が乳児であり、被害も大規模なものであったことから、人類史上例を見ない悲惨な事件となりました。

事件はなぜ起きたか

なぜ事件が起きたのでしょうか。ミルクを溶けやすくするための乳質安定剤として使用した「第二燐酸ソーダ」が、ボーキサイトからアルミニウムを製造する過程でできた廃棄物で、ひ素などの有害物質を大量に含んでいたにもかかわらず、森永乳業が安全性を検査せずに安易に使用した結果起きたものでした。国も、その流通過程で事件の前年に静岡県知事が毒物かどうかの照会をしたにもかかわらず、何の回答も出さず、事件後に「毒物取締規則に触れない」との回答を出す始末でした。

産官学の癒着が救済葬る

親たちは、被災者同盟を結成し、「治療費などの全額負担、後遺症に対する補償」などを森永乳業に要求してたたかいましたが、当時の森永乳業と国、医学界は、緊密に癒着し「後遺症の心配はほとんどない」として、1年後には受診者6733人のうち6643人を治癒判定とし、残る90人も4年後には全員治癒と判定しました。被害児と親たちの不安と救済への願いは、事件後14年間完全に闇に葬りさられ、被害がさらに拡大することとなったのです。こうした重大な事態をもたらした背景には、高度経済成長をめざす企業優先、人命軽視の国の政策があったといわなければなりません。

画期なした14年目の訪問

事件が解決に向けて大きく動き出したのは、14年後の1969年、公衆衛生学会で大阪大学の丸山博教授が発表した「14年目の訪問」がきっかけでした。被害児67人の追跡訪問調査の結果、50人に異常が認められ、後遺症の存在が明らかになったのです。マスコミはいっせいに大きく取り上げ、事件は社会問題として再燃しました。岡山の守る会は、14年間不屈にたたかいを続けていましたが、全国の被害児の親たちは、再び結集し、被害者救済に向けての大きなたたかいを開始しました。
丸山報告の一ヶ月後、岡山市で森永ミルク中毒の子どもを守る会第一回全国総会が開催され、当時の岩月理事長は「私たちは金をもらうために運動したのではない。過去14年間の伝統と実績の上に立って、あくまで被害者運動の純粋性と人道性を守っていくことを誓う」と決意を表明しました。守る会は全国単一組織として再構築され、支援団体も次々生まれ、各種団体と個人が「対策会議」を各地で結成し、たたかいを日本中に発展させていきました。
こうしたなか、蜷川虎三元京都府知事は、被害児を放置してきた府の責任を認め、府内に在住するすべての被害児の健康調査と検診を独自に実施し、後遺症が存在することを科学的に明らかにしました。この結果を受け、京都府知事、京都市長は連名で、森永乳業と国にすべての被害者を早急に救済するよう強く求めました。京都府市の先進的なとりくみは、後遺症の科学的な解明とたたかいの発展に大きく貢献し、住民の命とくらしを守る自治体の役割を全国に示すものでした。

「恒久救済」求める闘い

守る会は、被害児の諸症状がひ素ミルク中毒によるものであるという因果関係を認めようとしない森永乳業とたたかうために、1972年全国総会を開き、全国の会員の要求を結集し、多くの支持者や協力者の援助も得て、「森永ミルク中毒被害者の恒久的救済に関する対策案」を決定しました。そこでは「ゝ澪兮仂櫃倭竿鏗下圓任△襦⊃恒覆浪坦牡覿箸箸靴得嫻い鬚泙辰箸Δ垢戮である。9顱地方自治体も責任がある。と鏗下圓亮詑屬魑飜世擦茵ゾ来にわたって、恒久的な救済を」という原則を示し、健康管理や追跡調査、治療、家族に対する保障、保護育成とその施設、生活権の回復など具体的な要求をかかげ、森永乳業に実現を迫りました。
あくまで「恒久対策案」を受け入れようとしない森永乳業に対して、守る会は、森永製品の不売買運動を国民に呼びかけるとともに、民事訴訟を提起してたたかうことを決めました。不売買運動は燎原の火のごとく広がり、裁判も世論から大きな支持を得て、森永乳業を追いつめていきました。
こうしたなかで、1973年9月、森永乳業の大野社長は、ついに「『恒久対策案』を包括的に認める立場に立って、誠意をつくさせていただく」と確約。同年10月に守る会、国、森永乳業による三者会談が実現し、12月23日の第5回三者会談で、全被害者を恒久的に救済するため、「三者会談確認書」が締結されるに至ったのです。

確認書締結、恒久救済へ

三者会談確認書は、次のように明記しました。/恒米業は企業の責任を全面的に認め謝罪するとともに、被害者救済の一切の義務を負担する。⊃恒米業は、守る会の『恒久対策案』を尊重し、同案に基づいて設置される救済対策委員会(のちのひかり協会)の判断並びに決定に従い、救済対策委員会が必要とする費用の一切を負担する。8生省は、『恒久対策案』の実現のために積極的に援助し、救済対策委員会が行政上措置を依頼したときは、これに協力する。せ絢圓蓮△修譴召譴領場と責任において、被害者救済のために協力することを確認し、問題が全面的に解決するまで三者会談を継続し、『恒久対策案』実現に努力することを確認する。
この画期的な確認書の締結後、1974年4月25日に財団法人ひかり協会が設立され、被害者の恒久救済の事業が始まりました。

「おたずね」と「よびかけ」

以来、今日まで31年間、被害者救済事業は、「20歳代の救済事業のあり方」「30歳代を迎えての被害者救済事業のあり方」「40歳以降の被害者救済事業のあり方」、そして2001年から始まった「第1次10カ年計画」と発展してきました。ひかり協会と常時連絡を希望する被害者は、現在1万3千人余のうち5943人にのぼります。
救済事業の実際は、協会職員や訪問相談員、保健相談員が被害者を訪問する、被害者が事務所へ相談に行く、被害者がおこなう救済事業協力員が電話等で「おたずね」をするなどの方法で被害者の実態を把握しています。そして、個々の被害者のニードに即して自主的健康管理の援助をはじめ、保健医療や生活の保障、自立援助など必要な事業を、専門家と守る会で構成する救済対策委員会で検討し実施しています。
特に救済事業協力員は、京都府本部では42人の被害者が担い、年間約350人の被害者に「おたずね」や「よびかけ」を通じて健康の把握と健康問題の対応をすすめています。このことは、守る会の責任と役割を果たすものであるとともに、被害者同士の連帯を深める活動として特筆に値することであると考えています。被害者にとって、ひかり協会の存在と事業は、自主的な健康管理にとっても、障害・症状をもつ被害者の地域での生活と人生設計の確立にとっても、かけがえのないものとして定着し、事業参加も大きく広がってきました。
今日までひかり協会が発展してきたのは、守る会、森永乳業、国の信頼関係を強め、三者会談を毎年継続し、三者の責任と役割を発展させてきたこと、被害者を中心とした守る会が協会事業を支え、協会との協力関係を強化してきたこと、そして国民的支持を得てきたことがあると考えます。

「恒久対策案」の先進性

「恒久対策案」は、私たちの救済事業が「公害被害者の救済の新しいパターンの提示、国民的事業」と性格づけています。戦後日本の公害の歴史のなかで、被害者救済の解決を、一時的な金銭の補償によってではなく、すべての被害者を対象に人権保障を目的とした恒久救済事業によって解決することを合意し、関係者が50年たった今もそのために努力している事例は、森永ひ素ミルク中毒事件だけではないでしょうか。この画期的な解決を実現した親たちの献身的な不屈のたたかいと国民のみなさんの大きなご支援に、あらためて心から感謝を申し上げます。

被害の補償と人権の保障

公害被害者の恒久救済の事業は、私たち森永素ミルク被害者だけのものであってはなりません。いまだ完全解決をみていない水俣病や薬害エイズ、カネミ油症事件などすべての公害被害者のみなさんにも、補償と人権保障のための恒久救済が一日も早く開かれるべきであると思います。
私たち被害者は、森永事件のたたかいの歴史と伝統を誇りとしながら、日本の歴史のうえでも先進的なこの人権保障のとりくみをさらに恒久的に発展させるとともに、二度と森永事件のような悲惨な公害事件を繰り返させることなく、人の命と人権を大切にする社会を建設するために、微力ながら国民のみなさんと力を合わせてがんばることをお誓いするものです。

Date: 2005/10/06


第38回守る会京都府本部総会の議案書を紹介します
2003年度経過報告

私たちは、昨年7月20日、第37回森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会京都府本部総会コープイン京都で開催しました。
2003年度総会は、運動の基調として、 崑莪貅10カ年計画」の実行に向け、事業推進の軸として守る会の責任と役割を果たす活動、◆崑2次組織整備5ヵ年計画」に基づく全国単一組織を原則とする守る会の確立と拡大強化に全力で取り組むことを決定しました。
以下、1年間の活動状況を報告します。

機.屮蹈奪の年次計画と第一次10ヵ年計画に基づく活動

1 二者懇談会(京都)     7回
  東近畿ブロック二者懇談会     2回  

二者懇談会では、守る会の組織的な力量の向上と団結の重要性が再度確認され、組織活動の改善、強化と救済事業協力員活動の前進のための対策について、具体的に検討を進めました。
年2回のブロック二者懇談会での討議は、各府県の活動の特徴をお互いに取り入れながら、ブロック全体の「事業推進の軸」として、上半期から下半期の活動改善に活かされています。

2 被害者交流会と健康懇談会

  峙の街を歩く、みんなで歌おう」
   2003年7月19日  29名参加 ピアノ演奏 関文子さん(会員)
◆ 峪件と運動を語り継ぎ、引き継ごう供
        −恒久対策案の位置付け―
   2003年7月20日  40名参加 講師は大槻高相談役
 「ガーデニング プランターの寄せ植え」
   2004年2月14日  13名参加 ガーデニング指導は藤本隆志さん  (会員)
ぁ 峪件と運動を語り継ぎ、引き継ごう掘
   −「恒久対策案」と「森永告発」についてー
   2004年2月15日 44名参加 講師は細川一真ひかり協会常任理事

私たちの大事な財産である「恒久対策案」を引き継ぎ発展させるために、運動の歴史、三者会談方式の学習に力をいれ理解を深めました。交流会では、専門家として活躍している仲間に講師をお願いし、ともに楽しみ親睦を深めました。

3 事業推進の活動としての救済事業協力員活動

 救済事業協力員研修会議(京都)   2回
 救済事業協力員研修会議(ブロック) 1回

39名の協力員が、健康についての呼びかけ活動で278名、お尋ね148名の被害者と対話することができました。
ブロックの救済事業協力員研修会議では「中高年の発達について」をテーマに、「京都からの報告」の田中昌人先生にお話を伺いました。
検診の受診や医療費請求、健康ノートの活用等自主的健康管理を促進することにつながりました。被害者同士の連帯と守る会の組織強化につながりました。

4 行政協力・行政協力懇談会

1月26日 京都府・京都労働局   守る会2名参加
2月 3日 京都市            2名
3月23日 愛知県・名古屋市・豊橋市・豊田市・岡崎市 愛知労働局                     1名
6月16日 福井県・福井市・福井労働局  1名
7月29日 岐阜県            1名

ひかり協会とともに各府県、政令市、中核市との行政協力懇談会に守る会役員が参加。恒久救済に果たす守る会の立場、役割を説明し、協会事業への理解と協力を要請しました。

供 崑2次組織整備5ヵ年計画」達成に向けての活動

1 常任委員会・府本部委員会・支部集会・自主的グループ活動

常任委員会(4回)
  常任委員会の出席が少なく改善に努力した結果、全員に情報を敏速に伝えることを確認しました。
府本部委員会(1回)
  6月の第36回全国総会の準備を兼ねて、役員全員に呼びかけ拡大府本部委員会を開催しました。
支部集会(1回)
  愛知・東海支部で、自主的グループ活動と同時開催の1回のみにとどまりました。内容は「恒久救済」の資料プリント学習でした。今後の課題です。
ぁー主的グループ活動(3回) 
  ・2003年11月8日   岐阜  6名参加
    「健康ノートを使って私の健康管理5」 水谷聖子相談員
  ・2003年12月18日  京都  7名参加
    「ビーズ手芸2 めがねチェーンを作る」ビーズ指導 三宅い     づみさん(会員)
     更年期について京都市の保健婦さんよりお話を聞く  中京     区保健師
  ・2004年1月31日〜2月1日 
     障害を持つ被害者の将来設計のみを語り合う会 6名参加

2 会員拡大とひかり京都版

 /憩会員 4名
  協力員活動を受けて 年2回、約20人に「入会のお誘い」の手紙を出しましたが、今年度の入会は4人にとどまりました。
◆,劼り京都版  3回
  2003年7月、2004年2月、4月の3回発行となりました。学習報告に力を入れましたが、発行時期が偏りました。
  財政活動 
  諸会議、活動を協会事業と同時開催し、事務費の節減等に努め、財政の効率的執行に努力しました。

掘ー匆饐霎の学習・他団体と連携した活動

  社会情勢の学習は充分できませんでした。京障連の総会に守る会から2名参加し、他団体との交流を深めました。

[参考]
・全国本部関連会議日程 (京都府本部からの出席)
・第36回[三者会談]   2003年8月24日  1名
・第24回全国委員会   2003年11月2日  2名
・本部拡大二者懇談会   2004年1月25日  1名
・第42回ブロック会議  2004年4月4日   2名
・第36回全国総会    2004年6月27日  17名 会場係として傍聴19名 
・全国常任理事会    8回
  その他京都救済対策委員会、ひかり協会評議委員会に参加

2004年度活動方針(案)

はじめに
この間、保険料の連続引き上げと給付の削減をおこなう年金法が成立し、老後への不安が高まっています。また障害者の支援費制度の予算不足がおこり、介護保険との「統合」問題が浮上しています。

守る会京都府本部は、「被害者を救済し、一切の公害に反対し、被害者や障害者の人格が尊重される平和で生きがいのある社会の建設を目指す」という規約の精神を発揮し、被害者救済事業と被害者の生活、将来設計を守るために、他団体とともに社会保障の充実を求めます。

被害者救済事業では、被害者の自主的健康管理を促進し、障害・症状をもつ被害者の将来設計を実現する「第一次10カ年計画」の着実な実行にむけて、二者懇談会を軸にして、守る会の責任と役割をはたすために全力をあげます。そのためにも守る会の拡大強化にいっそう力を尽くします。

1.被害者の要求実現、社会情勢の学習、他団体と連携した活動

’金制度や支援費制度などを学習します。

◆峙都障害児者の生活と権利を守る連絡会」に結集し、支援費制度の改善や障害者の要求実現のために他団体との連帯したとりくみをすすめます。

8害被害者との連帯を強め、公害の根絶、救済制度の確立にとりくみます。

2.第一次10ヵ年計画にもとづく事業の促進

‘鷦垪談会を軸に守る会としての責任と役割を果たします。ひかり協会と共同で、節目となる時期に協力員研修会議やブロック二者懇談会を開催し、活動の計画や交流、とりくみの促進をはかります。

府本部常任委員会として救済事業協力員活動に責任をもち、健診や交流会・健康懇談会の参加などのよびかけ、健康についてのおたずねの目標を達成し、協会と常時連絡を希望するすべての被害者と年に一回は対話します。

7鮨任筌ン健診の受診を広げ、「健康ノート」の利用、健康懇談会への参加を広げます。被害者の自主的健康管理のすぐれた経験を積極的に交流します。

ぜ蕕覯駝魄として、障害のある仲間の交流会、親御さんの意見を聞く会などに参加し、将来設計の確立を支援します。

ァ峪絢垈饕漫廚箜特呂旅埓協力懇談会に府本部として出席して被害者の声を反映し、行政協力をさらに強化します。

θ鏗下垳鯲会・健康懇談会・支部集会については、被害者の声や要望を反映して内容を充実し、より多くの参加が得られるようにつとめます。

Ъ主的グループ活動を充実し、気軽な美術鑑賞、健康づくりや歴史学習版・ビデオを使った勉強会など、多彩な活動を実施します。その際、障害のある被害者との交流を深めるとりくみとなるよう配慮します。

3.守る会活動の拡大強化

[鮖乏惱版の学習をつよめ、「三者会談方式」による被害者救済事業と守る会運動の歴史や役割に確信を深めます。

⊂鑁ぐ儖会活動を強化します。支部集会を開催し、支部活動の充実にとりくみます。10月23.24日に合同支部集会を福井県で、9月16日に南部支部集会を開催し、交流を深めます。府本部委員会を開催し、府本部全体の活動を強化します。

H鏗下垳鯲会や救済事業協力員活動と提携し、5人の会員拡大をおこないます。協力員研修会議でも会員拡大のとりくみを話し合います。

い劼り京都版の紙面の充実に努めます。

ゼ蕕覯餤都府本部のホームページを開設し、当面、会員相互の連絡や意見交流の場として活用をはかります。
ホームページアドレス http://kyoto-hikari.hp.infoseek.co.jp/milk/

財政の効率的執行につとめつつ、支部活動や自主的グループ活動の強化に重点的に予算執行します。

むすび
本日の総会は、先日、京都市で開催された第36回全国総会の方針を京都府本部に具体化し、被害者のみなさんの健康と生活を守るため「第一次10ヵ年計画」にもとづく事業の着実な促進をはかり、守る会の役割を力強く果たしていこうとするものです。
京都府本部常任委員会は、守る会会員のみなさんと力をあわせて全力を尽くします。みなさんのご協力を心からお願いいたします。
Date: 2004/08/25


4/6付ひかり京都版をご紹介します
2月に被害者交流会を開催
初日はガーデニングと夕食の夕べで交流
2日目は「森永ひ素ミルク中毒事件と運動を語り継ぎ
引き継ぎ発展させていこう」をテーマに学習・討論

2月14、15日に京都市内のコープイン京都で恒例の被害者交流会を開催し、のべ44人の被害者、家族、職員が参加しました。初日の午後は、花屋さんを経営する被害者の藤本さんの講師でガーデニングを楽しみました。夕食会では、参加者の自己紹介と近況を語り合い、親睦を深めました。

二日目は「森永ひ素ミルク中毒事件と運動を語り継ぎ、引き継ぎ、発展させていこう」のシリーズ3回目。被害者の親として、医師として、守る会幹部として、協会理事として、守る会運動と恒久救済の先頭を担ってこられた(財)ひかり協会常任理事の細川一真さんに燹峭欝彗从案」と「森永告発」について犖譴蠏僂偉場からお話を伺いました。

私たちの大事な財産である「恒久救済事業」について、守る会運動の原点を否定して異論を唱える「告発」の動きがあります。この問題を正面から取り上げ、理解を深めたいと思います。引き継ぐのは私たちです。

(財)ひかり協会常任理事の細川一真先生のお話(要旨)
燹峭欝彗从案」と「森永告発」について

◎「恒久対策案」作成の経過と親の願い
   
1970年  11月23日  第1回全国大会(守る会再建)
       12月12日  森永乳業との交渉開始

当時、森永とすぐ交渉をすべきとの意見もあったが、役員はS31年森永・厚生省とわたり合った経験から、まず実態究明をしっかり実施することを提案。守る会の各府県本部をつくりながら調査、学習、組織を固めていった。

一方で応援する医療専門家たちは、大学の学用患者としてや民医連の病院のボランティアで検診等を実施してくれた。しかし、費用は親が負担。森永へ負担してもらうように交渉を開始した。現地交渉と本部交渉の2本立てで取り組んだ。

   1971年   7月11日  第8回本部交渉の一方的中断
          11月15日  厚生省 信澤審議官との交渉
          11月28日  第9回本部交渉再開
          12月19日  森永「恒久措置案」  

岡山県検診の結果が出るまで中断したいとの森永側からの一方的宣言で交渉は中断。その間、厚生省審議官との交渉で「厚生省にもミスがあった」との回答や斉藤邦吉厚生大臣との面接等でかたくなであった厚生省は、被害者よりの姿勢に変わっていった。

後遺症はなかったとする岡山県検診結果に対して、守る会の協力医療陣である委員から反対声明が出され、その後「岡山検診をもって国の判断としない」と厚生省が声明を出した。
 
一方、森永の「恒久措置案」は、道義的にお手伝いするが、因果関係や企業責任を転化したものであり、守る会が受け入れられるものではなかった。

◎「恒久対策案」の作成


1972年 7月    作業委員会発足
      8月16日 森永常務会声明「本社の基本的態度につい             て」
      8月20日 「恒久対策案」第4回全国総会で承認」

作業部会では被害者がもっている要求をしっかり引き出して、それを集大成する形で各地で何度も議論し、細かく意見を積み上げていった。親たちは精神的に高揚した状態で「案」の作成にのぞんだ。

当時の森永は、大野勇というオーナー社長的な人を中心とした会社で、守る会の言う因果関係を認めると主力銀行が不良債権とみなし、経営が不利になるという状態にあった。

しかし、‘72年当時、世論は我々の味方であり、マスコミ対策もあってついに会社も「守る会の意志を尊重して行います」との主旨の基本的態度を表明した。
 
◎「恒久対策案」の骨子と意義

「恒久対策案」の位置づけは、守る会の活動方針の意味をもつ。森永と国・自治体の責任を明確化し、全被害者(登録・未登録患者すべて)の救済をする。単なる要求ではない。条件的な各論ではなく被害者側からの解決方針を提起したものである。

救済機関の構想としては、中央救済対策委員会をつくると同時に現地救済対策委員会(実際には既に大阪、京都等で実働していた)をつくる。
中央救済対策委員会は、後の協会理事へとつながっていく。

◎「告発」について

<守る会との基本的相違>

守る会の被害者救済に対して、「告発」は自己告発と森永製品拒絶・森永打倒を叫ぶ反体制運動をする人たち。しかし、今は実態がない。

<過激な行動>

・1969年の日本公衆衛生学会での「丸山報告」の時、壇上にかけ上 がって、演説した若い医師や赤いヘルメットの学生がいた。当時、京 都府立医大や奈良医大、広島医大の学生が告発のメンバーに多かっ  た。
・1971年の岡山県検診の意思グループの中に守る会の協力医師が入 ったが、その参加を阻止しようと告発グループが動いた。
・「太陽の会」(被害者の組織、後に守る会と合併)へ干渉、混乱さ  せ、つぶしにかかった。
・「三者会談」の時、ドアの外でヘルメット学生が立つ。
・1977年8月第9回守る会全国総会妨害。
・ひかり協会発足後、協会へも干渉、妨害。

 <「森永告発」に対する守る会の態度表明>

1975年11月19日の拡大常任理事会で、「森永告発」は支援・共闘の団体ではなく、破壊団体として対処することを表明。守る会の願いは「全被害者の恒久救済」であり、しっかりと足元を固め、毅然として絶つことが重要である。  


QandAとまとめ

Q1・去年の全国総会で「告発」に出会って疑問をもっていた。どういう利害関係なのか、なぜ「告発」が存在するのかわからなかった。
・最近ホームページを見て不安を持っている。
Q2・守る会運動を親から私たちが引き継ぐというこの現実を重く受け止めているが、今後私たちはどうしていったらいいのか。

A1 「告発」についての補足説明

当時参加していた医学生にとっては、はしかみたいなもの。実態は1〜2名の反体制運動家。今、岡山、広島での一部の親御さんの動きはこの人に連動している。当時から一部の親の中で「賠償要求」についての意見が残っていたのも事実。しかし、皆で学習し、議論して現在の40歳以降のあり方がある。

A2守る会運動についてと親の願い

守る会運動とは倫理的な運動。全体として因果関係はあるが、個々にははっきりしていない事実がある。同じ仲間として助け合いながら続けていく運動である。協力員活動であり、自主的健康管理であり仲間たちの将来設計の確立である。ひかり協会事業の推進の軸としての守る会活動がある。この流れを絶やさず運動していってほしい。

今は、国・自治体、森永がそれぞれ「三者会談」の合意で動いている。三者の推進委員会と「三者会談」の継続は守る会のあり方にかかっている。国は機構改革を行い、森永も急激な経済変化に対応していかねばならない。厳しい社会状況の中、ひかり協会の存続は守る会の活動が原動力であることを再認識してほしい。

現在、守る会から5名の協会理事が出ているが、守る会の会員、被害者、家族の方々も、守る会を中心とする諸活動に積極的に参加することを通して、守る会とひかり協会を充実、発展させてもらいたい。

Date: 2004/04/08


ひかり京都版最新号を紹介します
       2004年の年頭にあたって

               森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会
               京都府本部委員長    小林三千男

 2004年の新しい年を向かえましたが、皆さんお元気でしょうか。旧年中は、守る会京都府本部の運動に何かとご協力いただき、本当にありがとうございました。
 今年は、昭和30年の事件から49年目。来年は何と50年、半世紀を迎えます。この間長い茨の道を歩いてきましたが、皆さんと色々な問題に取り組み、力をあわせて恒久救済の事業を前進させ今日に至りました。これからの課題もまだまだ山積していますが、恒久救済事業の推進がどれだけ大切であるかを実感しています。
 2004年は、私たちの暮らしを取り巻く環境がきびしさを増しそうです。国民年金保険料が上がり、年金受給率の改定でもらう金額がへるとか、消費税が引き上げられる等の問題で、今年はもちきりになるような気がします。
 医療.年金.介護など社会保障の後退は、私たち被害者の暮らしに例外なく影響します。救済事業をめぐる情勢はかってなくきびしいものとなります。
守る会京都府本部は、社会保障の充実を願う団体として、皆さんの協力や力をえるとともに、広範な人々、団体の皆さんとも力をあわせ役割を果たしたいと思っています。そして、救済事業の第1次10カ年計画の達成に向けて、いっそうがんばっていく決意です。
本年もどうか宜しくお願いします。

2003年夏の交流会

《京の待ちを歩く。みんなで歌おう!》

 7月19日の土曜日、午後から京都市内観光と、夜はピアノを聞きながらの楽しく文化的な交流会を29名の参加で実施しました。
 夏の真っ盛りとはいえ例年よりは暑さがましな「京の街」を観光バスでいざ出発。小旅行気分でみなルンルンの笑顔です。
 最初の観光場所「三十三間堂」では、1000体の仏像の中から自分や仲間の顔に似た仏像を探して大笑い〜。その後は智積院と国立博物館に分かれて見学しました。智積院は、車イス対応が不備で残念でしたが、「京の街を歩く」シリーズは面白い企画でした。
 その後コープイン京都へ移動し、夜は同じ被害者の関文子さんの奏でるステキなピアノ演奏で、懐かしの歌を大合唱し、大いに盛り上がりました。今後もいろんな分野で専門的に活躍している仲間を発掘し、みんなで交流を深めてゆきたいと思いました。

「森永ひ素ミルク中毒事件と運動を語り継ぎ、
引継ぎ発展させていこう」

7月20日 コープイン京都 10:00〜12:00
 今回は、「恒久対策案の位置付けについて」をテーマに大槻高相談役より語り継ぐ立場からお話を伺いました。大要をご紹介します。
◎ 「恒久対策案」作成と「守る会運動の原点」
・ 1956年6月  54名で岡山県守る会結成
・ 1969年11月 守る会再結成・全国組織発足
・ 1971年    森永乳業が「措置案」を発表
           守る会が同時に「恒久対策案」の試案作成
 森永の「措置案」は、当時新聞に発表された。同時に岡山や京都では、「恒久対策案」が作られつつあった。専門家の案は、抽象的だったので、自分たちで作ろうということから直ちに守る会会員に呼びかけ、全被害者の願いを時間をかけて出していった。
 救済対象者は、全被害者という文言を重視、お金を要求するのではない。子どもたちを元の体にということで「恒久救済」を打ち出した。マスコミからも高い評価を得た。

◎ 第4回総会決議を森永に申し入れ

・1972年8月  総会決議・「恒久対策案」を作成
 原則的な面では、一分の妥協もなく、具体的な面では実行しやすいよう協力するという救済の原則を守る会として加害企業に示した。
 「お金はいらない」「全国単一組織」という原則は、絶対のものとして、専門家も交えて考えていった。「恒久対策案」ができて、森永との交渉が楽になった。森永は、「恒久対策案」の前提及び原則を承認し、交渉申し入れを受けた。

◎ 三者会談と「恒久対策案」

・1973年   厚生省が三者会談を勧告
森永は、「恒久対策案」を包括的に認める立場に立って誠意をつくす確約をする。
当時の重要課題は、〔こ稜問題因果関係の2点。京都は率先して飲用認定にとりくんだ。全体的流れとしては、厚生省・森永がそれぞれの立場で責任を果たし協力し、「恒久対策」を実現する道を開く。このことを確認し、会談に臨んだ。
その結果厚生省は、交渉の中で未確認被害者の存在を認め、確認書では「全被害者を救済の対象」にし、「厚生省・森永は『恒久対策案』を尊重し」という文言を入れ、5項では、「厚生省・守る会・森永はそれぞれの立場と責任において恒久対策案実現に努める」とした。71年から73年頃は、公害の訴えが盛んとなり、被害者は18歳になってきている。森永不買運動もこの頃だ。

◎ ひかり協会設立後の守る会運動

・1975年5月  松山合宿
・1981年6月  守る会規約改正
・同年  10月  「恒久対策案の位置付け」を作成
・1988年    太陽の会との組織統合
 松山合宿では、救済理念の基本を徹底的に討議し、守る会と協会の相互位置付け、統一見解を採択した。新しい局面に向かうための規約改正の議論は伯仲し、3年がかりの改正となった。10月には、 峭欝彗从案」の位置付け救済事業のあり方・発展方向受け皿問題等の作成となった。
 太陽の会としては、若干の違いがあったが、激論の末基本を合意して守る会との合併となった。当時、「被害者を守る会」という名称変更についても、厚生省・森永から認定被害者を入会させることの問題が議論された。

◎ 今後に向けて

 今なぜ「恒久対策案」について学ぶのかということを再確認してほしい。2002年夏頃から岡山・広島で「恒久対策案」について間違った見解を持つ人たちが動いているが、守る会としてきちっと対応していかなければならない。30年間の変化を発展的にとらえて、前進させていくことが重要。学習の大切さ、原点をしっかり見つめ足元を固めることこそ「力」となる。
協力員活動は、対策案に出てないが、今は守る会運動・協会事業の推進の役割をになっている。今後、社会構造の変化等、さまざまな問題に立ち向かっていく時も、常に組織としての発展の機会ととらえ、「力」をつけてゆく方向をもっていってほしい。

自主的グループ活動

「健康ノートを使って、私の健康管理パート后

2003年11月8日、岐阜ハートフルスクウェアGにて、「健康ノートを使って、私の健康管理パート后廚鬚こないました。参加者は6名。今回も水谷相談員を講師に招いて、最近の検査結果を記入し、1年間の健康状況や努力目標を話し合いました。
 毎年おこなっているので、この活動にあわせて検診をする人もいて、みんなで健康について話し合うことが定着してきています。さらに身体を使ったことをしたいと希望も出されました。まだ参加していない方は次回是非!!
 後半は、守る会支部集会という形で「恒久救済」の基本理念についてプリントを読み学習しました。

健康懇談会 「更年期について」 ビーズ手芸 メガネチェーン

12月18日(木)ひかり協会東近畿センター事務所
健康懇談会 更年期について〈その2〉
10:30〜12:00
中京保健所 保健士によるお話と交流
▲咫璽瑳蠏檗 .瓮ネチェーン
  2:00〜4:30
 昨年に引き続き、「更年期のくらしについて」。今回は「心のケア」の面を中心にお話していただきました。日頃のちょっと心配なことなどを出し合いながら、少人数でしたが、深めることができました。午後のビーズ手芸は7人の参加で、これからの必需品?メガネチェーンを作り、みんな(自己)満足?な出来ばえでした。

第37回京都府本部総会の報告

 昨年7月20日(日)、第37回京都府本部総会がコープイン京都で開催されました。出席者は総勢40名。救済対策委員長・村山晃先生をはじめ、多数の来賓の方々より暖かい励ましのお言葉をいただきました。議長に中村勉さんと野村妙子さんを選出し、2002年度活動報告、会計報告、監査報告を終え、休憩の後、2003年度活動方針案等について協議しました。 
 2003年度の方針として、「第1次10カ年計画」の実行に向け、救済事業推進の軸として守る会の責任と役割を果たす活動と、「第2次組織整備5カ年計画」に基づく全国単一組織を原則とする強固な守る会の確立と拡大強化に、全力で取り組むことを決定しました。 
後半、出席者からの意見として、「厳しい制度改革の中、今まで以上のしっかりしたサポートをしていってほしい。弱者を守ってください」「グループホームについて情報を知りたい」などの親御さんからの意見や、「前人未到の三者会談方式や恒久救済について、しっかりと理解していく学習の継続が必要」との意見が出ました。
 2004年は、京都で守る会の全国総会が開催されます。被害者の声を結集しながら、恒久救済事業をより確かなものにしていくため、ともに力をあわせることを宣言し閉会しました。
Date: 2004/02/17


障害被害者の将来設計実現の援助についての守る会の役割について
最近ひかり協会の機関紙に投稿した原稿をご紹介します。

  私自身、事件当時に解毒剤の注射がされなかったら、今のように元気にいられなかったでしょう。障害をもつ被害者の苦しみを我がこととして恒久救済の事業の前進に力をつくしたいという思いです。守る会の運動は、そもそも障害をもつ被害者とともにすすめる運動だと常に肝に銘じたいと思います。

  具体的な役割として4つのことがあげられるのではないでしょうか。一つは、障害をもつ被害者の実態や願い、ニーズを把握し、よく知ること、そして守る会会員みんなのものにすることだと思います。

  京都府本部では、去年夏に「障害をもつ被害者の将来設計を考えるシンポジウム」を開催し、守る会常任委員が事前に家庭訪問などで聞き取った内容や課題、今後の援助の方向を報告し、障害をもつ被害者自身が自分の思いをみんなの前で語りました。

  交流会や健康懇談会、自主的グループ活動などを障害をもつ被害者とともにとりくんで交流を深め、二者懇談会や救済対策委員会でのとりくみ状況の報告をみんなのものにしていきたいと思います。
 

  二つには、障害をもつ被害者の年次計画の目標実現に向けてとりくむことです。この間、障害をもつ被害者の親御さんと一緒にグループホームの施設見学を行ない、支援費制度の学習も重ねてきました。「グループホームの京都での資料がほしい」という親御さんの要望にこたえて資料集めをするなかで認識も深まってきました。

  今後、「障害をもつ被害者の将来設計実現と援助について語る会」をブロックの守る会と協会の共同で隔年で開催するなどとりくみを強化していきたいと思います。
 

  三つには、把握したニーズや実態をもとに自治体や国に対して要請していく活動です。「車椅子住宅を増設してほしい」「町に出るとき歩道の段差をなくしてほしい」「施設の運営を改善してほしい」という被害者の具体的な要望を聞いて解決に走ったこともありました。

  京都府や京都市、愛知県、名古屋市、岐阜県、福井県との行政協力懇談会をはじめ、「三者会談」に守る会として必ず参加し、障害をもつ被害者のニーズを行政に要請する活動を積み重ねています。他の障害者団体と連帯した活動をすすめることも大切にしています。
 
  四つには、以上のようなことを守る会の組織活動に生かす活動です。守る会総会での活動方針に生かすのはもちろん、次期の協会やブロックの事業・運営に対する意見や要望などに積極的に反映していきたいと思います。

  まだまだ不十分ですが、救済事業の軸としてしっかり役割が果たせるよう励ましあいながらとりくんでいきたいと決意しています。
Date: 2004/01/09


いのちと健康を破壊する公害をくりかえさせないために
被害者の恒久救済を実現していくために
1.事件の重大性と当時の自己紹介
 私は今、健康ですが、42年前の1955年(昭和30年)当時全身が真っ黒で、肝臓が大きく腫れていました。幸いだったのは父親が鉱山に勤めていたために、会社の診療所に解毒剤が豊富にあったことです。母親に言わせると毎日のように解毒剤を打ち続けたそうです。仲間からは、
「解毒剤があったなんて、奇跡的だね」
と言われました。京都の障害を持つ被害者のお母さんは、
「解毒剤を打たなければいけないなんて、今の今まで聞かされてこなかった」
と言って泣き崩れました。解毒剤がなかったら、私も亡くなった130人の1人になったかもしれません。こんな悲惨な公害を2度とくり返してはならないという思いで、今日はそのために何が大切かを考えたいと思います。
 事件がなぜ起きたか、最初に考えたいのは赤ちゃんの砒素中毒という世界で初めて起こった食品公害事件なのに、なぜ被害者が14年間も放置されて、闇に葬り去られたのかが問題です。砒素中毒の過去の事件、過去の文献からしても、脳や体の発達の未熟な赤ちゃんが被害を受けたのですから、なおさら継続的な検診が必要なことは医学の常識でしたが、まったく無視されました。その根拠とされたのは薬害エイズ事件と同じように、森永乳業の肝煎りで作られた厚生省の諮問機関の判断でした。5人委員会と言われる諮問機関がまとめた意見書では、中毒事件が森永にとっては実に予期せぬ、予期せざる異変であり、希有な災害であるとして、会社の責任を曖昧にしました。そうして、専門員の意見を総合すると、ほとんど後遺症は心配する必要はないと判断しました。森永乳業はこの意見書を錦の御旗にして、被害者側の要求をはねつけました。また、西沢委員会は、皮膚の色素沈着などの特定の症状がなくなれば治癒している、という判断基準をまとめました。厚生省はこの診断基準に基づいて、1956(昭和31)年に全国一斉の健診を行って、1959(昭和34)年には全員治癒を確認したと国会に報告しました。これらの事実は、学識経験者や行政が被害者の立場にたたなかったら、いかに科学的な見地からかけ離れてしまうか、人間を感じない恐ろしい結果をもたらすかを、はっきり示していると思います。

2.14年目の訪問と恒久救済の実現
 次に被害者に再び光が当てられて、人道主義と社会正義の道が開かれた力がどこにあったかです。その扉を開いたのは「14年目の訪問」でした。大阪府下の一養護教諭が重度の脳性麻痺に冒されている一生徒が砒素ミルク中毒の被害者であることに気づいて、
「ひょっとしたら、他にも」と思って、被害児を訪ね歩いたのがきっかけだと聞いています。そして当時の大阪大学医学部の丸山教授の指導の下に、養護の先生と保健婦のみなさんがさまざまな周囲の圧力に屈することもなく、仕事が終ってから時間外に自主的に被害児の調査を進められて、その結果67人のうち50人までに異常があることが認められて、被害児に後遺症が存在することを明らかにしました。今日ここにも当時この活動に参加された保健婦さんが来ておられると聞いています。当時から28年経ってしまいましたが、保健婦さんに改めてお礼と敬意を表したいと思います。有難うございました。
 公衆衛生学会に発表されたこの「14年目の訪問」の内容は、本や週刊誌に「14年目に明るみに出た後遺症」などの見出しで大きく報道されました。被害者の立場に立った勇気ある実態把握の調査のことが、事件当時の「後遺症なし」の間違いを正していく大きな力になりました。そして被害児を守る会の私たちの親たちに、限りない激励と勝利への展望を与えてくれる元になりました。
 京都に住む者として、もう1つ紹介したい取り組みがあります。京都の革新府政、民主府政の積極的な役割です。
 1970(昭和45)年7月6日の京都府議会において蜷川知事は、事件当時の厚生省一辺倒の行政のあり方を反省して、関係文書や記録を消去してしまったことがまったくの手落ちであったと陳謝し、次のように答えました、「24年間放置してきて申し訳なかった。国が行うべきであるが、現に京都府民で困っている子供たちがたくさんいる以上放っておくわけにはいかない。京都市とともに府民の暮らし、健康を守る立場から、被害者の追跡調査、精密検診を独自に実施して救済対策を検討したい」
 知事の発言は早速実施に移されて、被害者や家族の意見を基本に方針が練られて、同年10月に京都府森永砒素ミルク中毒追跡調査委員会が発足しました。11月下旬には京都府下在住のすべての被害児を対象にして、京都府・市の保健婦による面接訪問調査が始められ、翌年7月からは精密検査も行われるようになりました。
 1971(昭和46)年12月にこの追跡調査委員会が京都府・市に提出した最終報告を受けて、蜷川知事は次のように発令しました。
「臨床医学的、臨床侵略的障害は、明らかに森永乳業の無責任さによって、人間発育の最も大切な乳幼児期に、まさにミルクを飲まされ、国の対策の不十分さから16年間放置された結果生じた問題である」
 こういう明確な立場から、翌年8月には知事・市長連名で厚生省、森永大野社長に対して、恒久対策として未確認患者を含めて、全被害者に対して年1回以上の健康診断、医学的処置、健康教育、就職相談活動、就職できない者への生活保障を実施するように要請いたしました。こうした京都府・市政の取り組みは厚生省と森永乳業の不当性を大きく浮き彫りにし、全被害者の恒久救済を実現していく上で、大きな力になったわけです。改めて、住民が主人公の立場を貫く革新自治体のすばらしいさを痛感するものです。
 「子供を元の体に返せ」という親の願いを原点にして、被害者の人権回復を恒久的に実現していく闘いは、公害を許さない国民世論の高まりによって、ついに森永乳業と国を追いつめて、1973(昭和48)年12月に国と森永乳業、被害者を守る会の三者によって、すべての被害者を恒久的に救済していくための、それぞれの立場と責任を明確にした三者会談を調印し、画期的な解決を見るに至りました。まさに全国民の人権回復の勝利であったと思います。

3.43年目を迎えた被害者の状況と課題は
 こうして闘い取った被害者の恒久対策事業、財団法人ひかり協会の事業が24年目を迎えて、ますます光り輝くものとなっており、私たち被害者にとってはかけがえのない存在となっています。私はここ数年で最も感動したことの1つに、手足に重い障害の残っている女性の被害者が3年前の5月に結婚したことです。彼女は、
「協会設立以来、皆様のアドバイスを受け自立しなければと思うようになりました。5年前からの集団活動、および生活訓練では多くのことを学びました。生活訓練がなかったら怖くて結婚なんかできなかったでしょう。協会に出会えて本当によかった」と述べていますが、彼女の夫も身体が不自由なので、結婚生活は大変です。食事をするにも、家事をするにも、私たちでは考えられないほど時間がかかります。そこでひかり協会は福祉事務所や保健所に相談して、住宅の改善やヘルパー派遣、保健婦の栄養指導や健康指導を進めてもらうことにしています。
 Bさんは難治のてんかんと知的障害があります。彼女の両親から話を聞いたことがあるのですが、
「1日に何十回となくてんかん発作が起こるので、気が休まったことはありません。私たちが死んだらこの子はいったいどうなるのか」
と大変不安がっていました。彼女にはひかり協会の相談員がついて、週に2回共同作業所に通ってさまざまなサポートを行っています。ひかり協会は、
「元気なうちは施設に入れたくない」
という両親と相談を重ねて、いざという時にはいつでも障害者施設に入所できるように、今のうちに訓練を兼ねて、一時入所をしてみるところまで合意できるように進めてきました。
 被害者全体に共通するのは健康を守っていることです。私もひかり協会の協力員になって、生活と健康の実態把握の調査を行っていますが、
「腎臓を摘出して数年になるけど最近になって調子がよくない」
とか、
「急に瞼の筋力が落ち込んできて眼科にかかっている」
とか、
「体調がよくなくて仕事を続けていく自信がない」
とか、不調を訴える人が多いことを実感いたします。
 この中で健康問題として重視しているのは、被害者が主体的に事業に参加して、健康づくりを進めようということです。職場や市町村の検診を積極的に受診して、結果をひかり協会に提出します。その結果に基づいて相談員になっていただいている保健婦から適切な指導を受けて、健康ノートに自分の結果を記録する取り組みも進め、自ら生活や食事を解決していく運動に取り組み始めています。障害を持っている仲間の健康問題はより深刻です。私たちは市町村に提出している被害者の名簿に基づいて、年に1度は保健婦に訪問指導していただくように、市町村・都道府県にお願いをしているところです。1973(昭和48)年の三者会談の確認書は、森永と厚生省、被害者を守る会の三者それぞれが果たす責任を明示しました、その後毎年三者会談を開いて、救済事業の前進にお互いが努力してまいりました。
 被害者を守る会はひかり協会と協力しながら、恒久救済の事業を守り、発展させるために、今親から被害者自身が運動を引き継いで、その役割を果たそうと全力を挙げています。被害者の実態把握の活動に積極的に参加することや、40歳以降の被害者の救済活動のあり方、被害者の参加のもとに討論をして、意見を反映させる取り組みを、2年にわたって進めてきました。行政のみなさんのいっそうの協力をいただくために、被害者の住んでいるすべての市町村に窓口を作っていただくことや、厚生省に連絡調整会議を設置していただくことなど、行政協力の仕組みづくりを進めてきました。

4.もう、2度とくり返さないために
 さらに京都府本部では被害者と救済事業の全貌を知ってもらい、2度と悲惨な公害をくり返さない決意も込めて、昨年〔1997(平成9)年〕8月22日に、42周年記念の文集を作って発表いたしました。新聞に大きく報道され、100件近くの激励や問い合わせ、送付希望が寄せられ、私たち自身の励みになっています。このように保健婦のみなさんや国民のみなさんの支援に支えられながら、被害者自らが恒久救済の運動を着実に前進してきていることを報告します。
 救済事業の取り組みは人権保障の流れから見れば一部分の取り組みです。今医療社会保障の改悪などが問題になっていますが、人権を否定するような、逆流を国民の力で跳ね返し、21世紀には人権が花咲くような、流れにしていくことがどうしても必要だと痛感しています。
 私たちは自らの歴史を振り返る中で、人の命より企業の利益が優先することに日本社会の流れがあることを、薬害エイズ事件を通じても学んできました。昨年薬害エイズと闘う患者さんや支援する会のみなさんとも交流し、すべての薬害エイズ患者さんの恒久救済の早期実現に向けて、連帯した取り組みを進めていこうとしてきました。今年はスモンの患者のみなさんや、他の公害患者のみなさんとのいっそうの連帯を深めようとしています。
 今、国民の命と暮らしの基盤が崩されようとしていますが、税金の使い方を変えれば、国民に負担をかけなくても、社会保障は充実できることを知ることもできました。みなさんと一緒に人権が花開く社会を作っていくように頑張りたいと思っています。みなさんは住民の命と健康に密接に関わっています。人権保障の担い手として重要な役割を果たしています。あの14年目の訪問の時のような気持ちの取り組みを常に続けていただいて、一緒に明るい未来を開きたいと思います。私たち被害者は2度と悲惨な公害をくり返さないために、生涯にわたって頑張る決意です。
Date: 1999/01/10


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